正しいオトナたち  AT グローブ座 公式サイトはここ

正しいオトナたち  AT グローブ座 公式サイトはここ https://www.tadashiiotonatachi.com/ これは面白い戯曲だと思いました。 メンバーも揃っているし、 舞台の大道具関係はしっかりと作りこまれているし 良質の内容でした。 この戯曲は数年前 映画にもなったのですが ジョディフォスターはいい感じで ケイトウィンスレットも味がありました。 この映画とは別の魅力が 今回の舞台にはありました。 それは、役者の個性です。 真矢ミキさんは少しおちゃめな役柄で 一番まともだったんだろうな、という役を 存在感十分に演じておりましたし 中嶋朋子さんは舞台で見るのは初めてでしたが きれいでした。 この二人で特に思ったのは 今回の逆の役でも それはそれなりに面白いのではないかということでした。 この戯曲って、 このように 逆パターンで演じ分けてみるというのも 一つの演出の延長になるかと思った次第。 ないしはダブルキャストとか。 岡本君は 久しぶりでしたが ジャニーズ時代 かなり若手のころは 蜷川さんの芝居で拝見して 木村拓哉さんなんかとともに、芝居のチケットの購入の難易度を あげてくれていた人なので あまりいい印象はないんですが 年を重ねて、いい中年になってきました。 近藤方正さんは安定している。 この二人も同じく、逆の役を演じたら また行きたくなるような舞台でしたねえ。 戯曲の作者は このように、同じ人が違う役を演じてみるというのも 念頭に入れていたのではないか?と思ってみていました。 そのくらい、役にはまっているようで 実は誰の心の中にも人には見せないものがある、という感じは よく出ていた。 だから、逆も面白いと思ったのです。 まあ、まさにアンサンブルの芝居ですが その絶妙な駆け引きは 初日から重ねた日数が物語っているんだなあ、と思えるほどに 息がぴったり合っていた。 その昔 よく文芸坐のアトリエ公演に通っていたのですが あの感じを思い出しました。 しかし今回は舞台の上はスター。 またはテレビでよく見る顔。 (別に誰がスターで、だれがテレビでよく見る顔というわけではないんですが) そのよく違う役で見るということも 今回の役においては 違った一面なのかと、 各自のキャリア自体までも 今回の役作りに加わっているかのようでした。 さてとどんな感想を持つかはあなた次第。 私個人は 中嶋朋子さんの役が見せる本性が一番好きですけどね。 どうだか?あのままみんなで酔いつぶれたら また違う展開なんでしょうから?笑い アンサンブルの面白さを楽しんでください。それって芝居のだいご味ですよ。

「マクベス」by 「DULL-COLORED POP」  at KAAT

「マクベス」by 「DULL-COLORED POP」  at KAAT
公式サイトはここ
http://www.dcpop.org/

 90分のマクベスです。まあ内容はご察しの通り。
それに冒頭から、
3人の魔女たちが、歌う。場所はどこなんだろう?
でも雰囲気はキャバレーかな。
少しきわどい衣装でもあるし、
体のラインはそこそこ、お見せいただける、というか
あなた、股を広げすぎだよ、と思う私です。
この歌はオリジナルなんでしょうねえ。
歌詞も、そこそこマクベスの魔女をしてました。

私は初めてこの劇団を見るので
この魔女たちがマクベスの中でも役を割り振られているんですね。
はじめのうちは全く気が付かなかった。
そうそうキャバレーもどきのレビューぽい踊りと歌は
少しジャズっぽい。それもディキシーランドジャズぽいテイストだったと思う。
ラグタイム系だったかな。そこは現地で確認してください。
ロックではない。
ロックだったらかっこよかっただろうにとは思います。
それはこの劇の終わりとリンクすると思うねえ。
終わりが特殊なんですよ、今回の芝居は。
全体を通した音楽でいうと
劇全般にピアノ中心に良いメロディーがつけられており、
なんというか、
時の流れの中で、登場人物の心の機微が表現されているようで
すごくここは共感しました。素晴らしい音のつけ方です。これは驚いたところ。

それとこれは書かないといけないか。
夫人の入浴シーンがあるんです。一応、ヌーブラをつけているけど、
まあきわどいシーンには変わらない。
劇団のスタンスなんですが、これは池袋の劇場ならばヌードで、KAATなら
ヌーブラなのか?もともとヌーブラで行っていたのかはわかりません。

話は飛びますが
ダンスで
20数年前
横浜でピナバウシュが来たとき、ほかのダンスカンパニーが
舞台上のヌードになったのですがクレームが来て初日で終わったということもありました。
ダンスの場合は身体表現なのであまり目くじらを立てる必要はないと思いますけどね。

話を戻して
いろいろと独自の解釈も入れながら、話を膨らませるところは膨らませて
進んでいきます。
それは
ある程度分かるようにできている。
この流れについては私も全く異論はございません。それで十分かと思う。

ただし、演出とか、演技の問題ではなく
自分の罪を感じて気がおかしくなるシーンの象徴の一つ、
手の血を幻影で見てしまうシーンを見て、
私は、マクベスはまだ、犯罪が今ほど不条理な時代に書かれたんだなあ、と改めて
思った。
今の犯罪は本当におかしいからねえ。この異常さの反面教師のように感じました。
そんな感じで、いろいろと自分たちの味を付けくわえながらも
楽しそうに演じているのを見ていると応援はしたくはなる。
ただ、劇場の舞台が大きすぎた感はあるね。
あそこはスタジオなので横も奥行きも意外とあるんで、そこは苦労しましたね。
それは見ていてもすごくよくわかりました。だから劇の空間に本当の空気の空間が入り込んでしまう。
芝居と観客が距離感があるんですよ。
それを
花道や、四方からの登場などで補ってはいたけど、限界はあった。しかしそれは批判ではなく
仕方ないかなあ、という程度。

最後に、
昨今の国会中継ネタががでて、終わり方は本編と違う。
そう、自分たちの問題を押し切ってしまう強引さがあった。それを書いたからには
マクベスも現代ではあのくらい異常性を持っても普通にその地位は保全されたということを言いたいと
解釈しましたよ、私は。

ここ感じたら、拍手です。
初日のせいか、ここで終わるだろ?
三島さんの「わが友ヒットラー」張りの終わり方ですよ、と思っていました。が拍手は起きなかった。

これも客層と舞台側と少し温度差があったのかな、と思いました。

まあ初日ということでは
セリフがあやふやなところも多々あったけど、
女性陣がかわいいので許そう。
まあ男優も
だれだれに似た感じの人というのはいました。
今どきの劇団は有名になる人と、それもどきの人との差が本当に紙一重なんだなあとここでも思った次第。

サクッと楽しめる、エロイ「マクベス」というべきかな?
いや、エロさの中に、人間とは、それに弱い存在なんだよな、というのが隠れている気がする。
エロさを出すと、テーマを変えて付け加えてもOKだぜ、みたいな。
でも
見ておいて損はないと思います。演出は1980年70年代とかのテイストがあるかな。
既視感が至る所にありました。そしていろいろな芝居を思い出しました。
でもそれらの芝居からすると
女優陣は圧倒的にかわいいですよ。女優もだれだれに似ているというのはありました。
本当に紙一重の世界なんだなあと思う。
変な感想でしたが、
見るなら、
途中、シャンパンが配られる席でどうぞ。あのシャンパンはおいしいですよ。これもネタバレか。

芝居「常陸坊海尊」 AT KAAT

芝居「常陸坊海尊」 AT KAAT
公式サイトはここ
https://www.kaat.jp/d/kaison
久しぶりに唸るような舞台を見た実感がしました。
「うーん」という声しか出ないような後味でした。
しかしそれは素晴らしさゆえ出た言葉であって
ここまで作りこまれているとは思いもしなかった、というのが実の感想です。

そして「月の光」のピアノを際立たせる、スピーカーの配置。さらに低音を加えた響き具合など、
観る者へ何かを問う感じでもあると思っていました。
実のところ、この戯曲を知らないで見たのですが、まさに自分へ問いかけられるような終わり方をしました。
たぶん、1幕、2幕、3幕と別れているのでしょうが
3幕のあの激しさはとてつもない結論となる。そして観ている私へも問いかけてくるような
強いメッセージがありました。
導入部分の1幕(としておきます)でも
源平合戦の時代と現代とごちゃごちゃな設定なんだな、この後どこで接点ができるのだろう?
と思っていた私が馬鹿だった、と思いましたね。
その次元ではなく、
いつの時代も人間の中にある後悔というたぐいの気持ちを扱った普遍性があるんだと思ったときに
激しい情動が私の中に走りました。

いろいろな登場人物に
それこそ、題名の人物たる特徴をつけて、舞台の場所も
それなりに説得力のある場所であり、
いる源平時代にタイムスリップしてもおかしくはない状況は揃っていました。
ですから
こちらの飢餓感をあおってきたんです、この戯曲は。
しかしその期待は裏切られ、
唯一、
源平時代と
太平洋戦争の負け組という位置づけでは
かぶるな、というだけでした。
でもね、それも2幕までの感想なんです。
圧倒的な存在感を示したのは3幕目なんです。
これは全く予想を覆してくれた。
これだけきれいにはまるとは、と思ったものです。

ですから「うーん」という言葉が出てしまう。
これは考えされられた自分に対してと
予想通りの展開ではなかったことに対して、
さらに想像を超えた展開を提示した舞台に対して唸ってしまうのです。

でもこういうのって芝居のだいご味でもあると思う。

私から言えるのは
静かな流れの中に
大きな情念のうねりがあり、それを時代を超えて飲み込んでしまう
迫力に圧倒されたということです。

神隠し的な要素も
長く生き延びたという要素も
すべて伝説でもある。その伝説を再現しているのかというと
決してそうではない。
逆に伝説に忠実な方がすごく劇的なシーンも多く面白いに違いない。

いや、この「劇的」という言葉はどういう意味なんだろう?
この舞台に「劇的」な要素はなかったのか?そんなことはない、そこいらじゅうに
散りばめられている。
では何と言って人に話そうか?
淡々とした中にも、大きな動きが最後にきっちりと収められてそのまとめ方が
素晴らしい、というか?それでは全く伝わらないな、この舞台の迫力は、と思うのです。
でも「迫力」という言葉を使うと
それを期待して観に行くと必ずと言ってよいほど肩透かしを食らうでしょう。
また、「古典劇」というと、それも間違い。
とにかく人に紹介しにくい舞台なんだが、なんというべきか言葉を選んでしまう。
でもね
劇的空間は確実にそこにあり、物語の展開に度肝を抜かれることはある可能性があると思います。

なかなか再演が難しい演目のような気がしますので今回を機に観に行かれてもよいかと思います。

役者に関しては
白石さんを除いて弱い部分はある。しかし物語がとてもとても良いです。
本当に
本物に出会った気分です。
何を言ってもピンとこない人は見ないでしょうし、迷っているなら見るべし、かな。感想は。

ちなみに休憩10分が2回なのでトイレタイムにならない可能性が高いのでご注意を。
ここまともに20分25分取ったら歌舞伎公演と同じような時間になります。
10分2回で3時間10分。
カーテンコールあり。

最後に「うーん」。いやあ、すごいわ。